文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

研究者の書いた本とか、研究の社会との繋がりとか

書き物に集中していたときは頭がフル回転で張りつめていたのですが、一日経って、ようやく休憩感が出てきました。というか、今の頭の状態はポンコツすぎる。頭がフルで回っていた時は、一般向け書籍(専門書じゃないという意味で)を読むと「簡単すぎる!」とどんどん読み進めてしまうのですが、今は逆に何も頭に入ってこない。頭の中で思考の糸がきちんとつながらず、ばらばらに拡散していってしまう感覚。ちょっと反動が来ているのでしょう。

修士を始めたばかりのときは、こういう感じがよく分からず、深刻ではないものの体に支障をきたしたりしましたが、今は慣れてきました。コントロールできる、というのは違うかもしれないですが、急に頭が馬鹿になっても「疲れたのね、少し休みましょうね」というだけです。

 

ちょうど月曜日が休みで三連休なので、今日は全然重い勉強はせず、自分の研究に全然関係ない本とかだらだら読んでいました。

小説とかビジネス書も好きですけど、最近は研究者の書いた本を読んだりします。バッタ博士の『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎、光文社新書)とか『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ』(川上和人、新潮社)とか。昔、西江雅之氏の自伝的な本を読んで衝撃を受けたこともありましたね。講演会に行ったこともあったのですが、いつの間にかお亡くなりになっていました。後は中野信子氏とか、山極寿一氏とか、落合洋一氏とか、小野雅裕氏かな。

前野氏の前掲書は、「若手研究者のリアル」みたいな面が含まれていて、どこからも経済的支援が受けられなくなる話とか、リアルすぎて本当に辛いです。わたしも今後全然あり得る。また、研究と社会のつながりみたいな面も考えさせられました。どんな申請書を書いていても、「社会貢献」みたいな欄があるので、直接的にせよ間接的にせよ、自分自身あるいは自分の研究がどう社会とつながりを持てるか、というのは意識しています。

といっても、わたしの研究はものすごく抽象的なレベルでしか日本に関係ないし、日本人に直接的に利益になることははっきり言って、ほとんどないでしょう。(それでも支援してくれる方には本当に感謝です……。)今、研究費を投資すれば未来に何千二人も助かるような医学系の研究と比べて、特に実益のない自分に投資してくださいというのはおこがましいのでは、と思うときも……。しかし技術だけが人間を救ってきたのではないですからね。哲学や文芸が人のソフト面を救うこともあるでしょう。今はそんなふうに一応の納得をして、申請書類をしこしこ書いています。

 

今日はこんなところで。