文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

文章の構成力についてつれづれ

今日はAcademic writingの授業を受け、日本語学習者の日本語を直し

なんてことをしていたので、文章の書き方についてつらつら考えていました。

というのも、某日本語学習者の書いた作文(TA応募時の志望動機みたいな書類)が、日本語はとても上手だったのですが、なんだか読みにくい。何が言いたいのかよく分からない。

これがなぜなのか、ということを考えていて「ちょっと構成が曖昧だよなあ」と感じたのです。同時に、日本語母語話者として、わたしは「TA応募書類」と聞くと、ある程度パターン化された枠組みを無意識に想定しているんだなあと気づきました。

この人は前年度に引き続き応募します、みたいなかたちだったので、私が期待する流れは

①「~に応募させて頂きます」

②前年度にやったことを踏まえ、こういう理由でまたやりたいという説明

③自分が適任であることをアピール

④よろしく的な文

という感じです。

厳密にこれと同じである必要は全くないわけですが、上の①~④の要素がだいたいこんな順番で入っていたら良い印象になるかなと思うわけです。それで、こういう構成になるように文章を組み替えたのですが、「こういうふうに流れが決まっていて、枠の中の内容で勝負しなきゃなのは、論文に似てるな」と考え始めました。

論文も構成がきちっと決まっていて、「これの次にはこれが来る」という期待を持ちながら読んでいるわけですよね。わたしの分野であれば、誰も「手法」が「先行研究のまとめ」の前に来ることは期待していないわけです。そして、この期待通りに話が展開していけば、多少中身が難しかったり、言葉遣いが難解だったりしても、「AとBの二つ理由があって、Cという結論になると言いたいわけね」と骨子だけは分かるわけです。

志望理由なら、多少表現がまずくても母語話者なら中身を酌んでくれるかもしれませんが、論文はもっと精密な作業が必要だし、母語話者が読むとは限らないわけだし、となると構成ってめっちゃ重要でない?と。構成良くするだけで、相当読みやすくなるんじゃない?

だからAcademic writingの授業で、構成に忠実に書くように言われるのか……

構成甘く見てたわ……

言い訳すると、母語じゃない言語で書いていると、文章の構造を俯瞰したりするのが難しいんですよね(個人的な感想かもしれませんが)。日本語で書く時は頭の中で文章や構成を練って、ほぼ完成してから書き出すようなことができますが、英語ではそういうことはまだできないし。

次に書くものは構成至上主義で書こう。

 

今日はこんなところで。