文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

やる人とやらない人の差が広くなりやすい世の中だと思うのですよ

courseraが高等教育として失敗したという主旨の記事を読みました。Courseraによって一流大学の授業がオンラインで、無料で受講できるようになったことで、経済格差と教育格差の相関関係が改善され、金のかかる高等教育がなくなるのでは(とまではいかなくても何らかの改革があるのでは)と期待されたものの、結局courseraのコースを修了する人は非常に少ない。なぜならモチベーション(学習意義)の維持が難しいから、という話。

確かに自分でcourseraをやって実感したのは「やり続けるのは難しい」ということでした。ブラウジングして、面白そうな授業に参加して、そのときはウキウキしていても、実際6週間に渡って、ただでさえぱつぱつの生活から5時間ずつ捻出するのは大変です。必修でもでも何でもないのだし、「どうせ趣味の一環みたいなもんだし諦めよ」と思っても全く不思議ではないと思います。

ただ、一方で思うのは、それでも勉強しようという意欲のある人、あるいはそういう場でしか勉強できない人にとってはやはり常に有意義な場だということ。そして、「それでもやる人」がいる以上、やる人とやらない人の差は、コース一つ分広がるということです。

そして、そういう「それでもやる」というほどのやる気のある人はより深く勉強でき、途中であきらめてしまった人はその分の知識が身につかないという点で、このシステムは素晴らしいなと私は思っています。もちろん、怠惰な人間であっても自動的に学習させてくれるようなシステムこそが良いのだ、という考え方もあるかもしれませんが、経済格差で学習到達度が決まるよりは全然ましです。経済的な理由で進学を諦めねばならなかった人が、自らのやる気を原動力として、進学しなかった分の学問的ロスを取り戻すことができる。夢があると思います。

 

副作用として、「それでもやる人」と「やっぱりやめちゃう人」の差も広がっていきそうだと思っています。もはや何でもネットでアクセスできる時代ですから、極めたい人は独学で極めることができる。一方で極めない人は全く極めない。かつてないほど、やる人とやらない人の差が広くなりやすい時代だと感じています。もちろんやったことが実益に結び付くかは全く別の問題ですけど……

 

まあ確かにね、coursera は高等教育システムを大きく乗っ取るまでにはいってないと思いますし(修士号とかはとれるみたいですけどね)、学歴フィルターも健在ですし、「改革」というほど大きな変化があったかと言われるとちょっと悩みますけど、courseraがもたらした変化自体は、私は非常にポジティブにとらえていますということでした

今日はこんなところで。