文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

研究者はおかしいやつが多いか?

多いです!!

 

と答えて終わりにしても面白い気がしますが、もうちょっと深めておきましょう。

 

「おかしい」というと語弊があるかもしれませんが、この表現を使ったのには、私なりの理由があります。

一つ目は、私の知り合いの、非常にまともで真面目で几帳面で社交性があって、誰からも「仕事が早くてそつがなくて素晴らしい」と絶賛されている若手の先生が「研究者はおかしい人ばっかり。自分もおかしいから研究者になったんだ」という主旨のことを仰ったこと。この人は、私が知っている研究者の中で最も真人間に近いと感じていた方だったので、聞いたときは非常に衝撃を受けました。「こんなまともな人でも、自分はおかしいから研究者になったと感じるのか……」と、その時の記憶が、心にしこりのようにずっと残っていました。

二つ目は、脳科学者の中野信子氏の情熱大陸を見たとき、「そもそも『自分はおかしい』と感じることが研究者になる原点になった」というような発言があったこと。あんな社会的に成功しているような研究者の方でも、そういうことを思うんだなと思うと同時に、私も含めて研究者ってそういう面があるのかも、と考えだすきっかけになりました。

 

私自身は、大学院に入ったのは学部時代の授業が面白かったから、と必ず答えています。

でも、「自分がおかしいから研究者になった」というお二方の発言を聞くと、自分もそういう「おかしい」素地があったからこそ、こういう進路になったのでは、と思わなくもないのです。

世界に対する違和感というか、周囲と自分が妙にずれている感じがあるというか。

私は自分が「おかしい」と思うような客観性と言語能力は持ち合わせていませんでしたが、振り返るとすごく妙な子供時代を送っているように思いますし、世界は不思議に満ちていると思っていたからこそ、学問の世界でそれを綺麗に説明されたときに、「これが私の求めていたものだ!」と飛びついてしまったように思います。

というか、世界の不思議をそのまま飲み込めない人、「世界」という設定のインストール中にエラーが起きるようなタイプの人は研究者になりやすいと言えるでしょう。

これが、研究者が子供向けに言ったりする「身近な疑問をそのままにしない」というような姿勢につながっている気もしますね。

 

まあ、自分については全部後付けの妄想かもしれませんし、「そうか、研究者だから自分おかしいのか」と年々思い込みが強化されているようにも思いますが。

 

でも、やはり身近に山ほど研究者がいて日々触れ合っていると、「研究者っておかしいのかな」と考えてしまう……。あなたアカデミア以外では生きていけないでしょ……というような人もいますし、やはり一癖ある人が多いように思いますし。

 

あ、ちなみに私は、おかしい人が嫌なわけではなくて、変わっている人が好きです(ぽっ)。ホンマでっか!?TVの澤口先生のような人が堪らなく好きなので、我ながら良い環境にいるなとは思います(ちなみに澤口先生は、テレビでは空気読めない飄々としたキャラですが、新書『幼児教育と脳』を読むと、子供への深い愛情が感じられてちょっと意外でした)。

 

今日はこんなところで。