文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

養子のこと

異文化コミュニケーションの難しさについて書こうと思っていましたが、その前に養子問題をざっと取り上げようと思います。

養子問題というのは、両親と養子の人種が違うとき、どういう困難があるのだろうかという私個人の疑問点であります。

 

こちらで生活していると、両親は共に白人で子供が黒人やアジア人という家族がたまにいます。そうすると当然子供は、完全なる白人文化、親族全員白人みたいな環境で育つと考えられるわけです(もちろん生まれた国、生みの親と接点がある場合もあるでしょうが)。そういう現地・白人の子供と限りなく近い環境で育ったとき、その子のアイデンティティや周囲の反応はどうなるのだろうなあと最近つらつら考えています。

もちろん、帰国子女と同じで大きな個人差があるということは分かるのですが……そういう環境で育ち、言動も完全に現地ナイズされているとき、周囲の現地・白人の感覚としても「文化的なコンテクストを共有している人」という意識で話したりできるのか、また、養子本人も「見た目は違うけど、ここで育ち、ここの文化が私の母文化・母語なのだ」としっくりきているのか。

でも、友人にこの疑問をぶつけたところ「養子の中にも、違和感を覚える人がいるようである」ことを指摘されました。彼女はテレビで、韓国からアメリカに養子に出された子が、韓国の生みの親に会いに行くという番組を見たそうですが、養子本人が「両親や育った文化は完全にアメリカだが、ここに属している感覚が希薄である」というようなことを言っていたと教えてくれました。

うーむ。やはり難しい問題のようですね……。

 

このテーマについてどうして書こうかと思ったかというと、差別問題について考えていたとき(前記事参照)、「でもここには、外見はアジア人でも白人家庭で育つ人もいるし、そういう人が自分の母国で『外人』として差別されるのは、実際外国人の私が差別されるより、もっとつらいだろうな」と思ったからです。前記事にも出てきたアメリカ人の友人が「アメリカでは、見た目ではその人のバックグラウンドは判断できないという意識がある」というようなことを言っていたのも思い出しまして。

 

こういう養子問題について、特に両親と子供の人種の違う養子について考えることは、日本ではあまりきっかけがなかったので、良い機会に恵まれていると思っています。

今日はこんなところで。