文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

異文化コミュニケーションの難しさ

最近友人(日本人)と話していて、「やはり外国語でのコミュニケーションは難しい!」という結論に達しました。なんと当たり前な、と思われるかもしれないですが、もうちょっと聞いてくださいよ。私たちが共通して感じるのは、言語能力の壁を感じることももちろんあるわけですが、むしろ会話をどうやって組み立てるかの言語(文化)差が大きいのでは?という点でした。

友人が直面していた問題は、アラブ系の友人と話していると、相手に一方的に話しかけられ、自分が話せずに終わってしまうというものでした。友人が「私、最近こんなことがあってね……」と話し始めると「分かるよ、〇〇。私もこんなことがあって……」と会話を乗っ取られてしまうのだそう。そしてそのまま自分の発言ターンが回ってこないので、もやもやするのだと言います。

私の場合は、適切な相槌を打てていないようだという点に四苦八苦しています。これは、大阪出身の友人ができたときに感じた違和感が良い例なのですが、友人はノリツッコミや自虐など、私がお笑いの技術だと思っていたような話術を次々披露し、そして私にも同じような話術を期待するわけです。具体的な話を忘れたのですが、私の「へえ~、良かったね~」みたいな凡庸な返しに「違うやろ、そこは〇〇やろ」と返されたのが一番の衝撃でした。そうか、ここでは係り結びのように、会話の中にも呼応の関係があったのか……!

そして、相手が期待するような反応を返せないと、やっぱり会話が盛り上がらないんですよね。私は現地語会話をしているときの自分の相槌がどうもまずいようだ、と気づいてから、現地人の「ああ言えばこう言う」パターンを観察するようになったのですが、同じことを言われても、確かに私とは全然違う返しをしているわけです。

となると、違和感なくスムーズに会話を続けるためには、会話の構造、「ああ言えばこう言う」という会話の係り結び、専門的な用語で言うと談話構造が重要なのでは、ということになってくるわけです。

社会言語学の授業で以前(もう何年前だ……)、この談話構造と異文化コミュニケーションの関連についてやったことがあります。その授業で「相手の会話の最後に食い気味で発言するのが良い文化の人」と「相手の発言が終わってから、自分の発言が許可される文化の人」という異文化人の会話がうまくいかないというスキットを見たことがあったように記憶していますが、これを今実地で体験しているわけですな……とほほ。

でも、このままで終わるのは悔しいので早速、談話構造と異文化コミュニケーション関連の専門書を借りてきました。少なくとも、学術的な面ではモノにしておきたいと思います。

今日はこんなところで。