文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

「LBGTは生産性がない」発言の杉田水脈議員×三浦しをん「祖母の死」

年末なので、今年のニュース振り返りの一環ということで。

 

LGBTの生産性」問題は、2018年5月号の『新潮45』における、自民党杉田水脈氏の発言が炎上したという一件でした。

細かい論考は専門家の皆様に譲るとしますが、最も問題になったのは

LGBTカップルは子供を作らないから、生産性がない(国益に資さない、のような意味と思われる)

という主旨の発言でした。

 

私のような語彙力のない人間は「んな阿保な」という一言しか出てこないわけですが、この問題で心にダメージを受けた人に是非読んでもらいたいのが、直木賞作家・三浦しをん氏の書いた「祖母の死」というエッセイです(『お友だちからお願いします (だいわ文庫)』に収録)。

このエッセイは、おばあ様がお亡くなりになったことによせて三浦氏が書いたもので、それだけでも大変胸を打つものがあります。

 

中でも私が今回取り上げたいのが、三浦氏が老年期のおばあ様を回顧し、人間(生き物)は生殖のために生まれるのではないのでは、と思索を巡らせる箇所です。

著者は「生」に種の保存という意味付けを与えるのは危険であるとして

 

(前略)意味づけをすることによって効率化がはじまり、「種の保存という遺伝子の大命題(私は、それはまちがっているんじゃないかと思うわけだが)に反するやつは、無意味かつ無用な存在である」という極論まで到達してしまうのではないかと、やや危惧される。

 

と述べています。

まさにこの問題を予見しているかのような懸念ですね。

 

そして、人間(生き物)は生殖を含む「何か」をなさねばならない、などという考えからは自由であり、だからこそ命が尊いのだとまとめています。

 

生きて死ぬ。生き物はそれだけで十分なのであり、「なにかをしなければならない」といった考えからは完全に自由な存在なのであり、だからこそひとつひとつの生命が尊いのではないか。

 

もちろん、杉田氏の発言は税金の分配という政策的な面で、という観点が前提にあるわけで、「人間の尊厳」という問題と直接はつながっていないという考え方もあるでしょう。

しかし、私はやはり「ただ生きて死ぬ」だけで、誰にでも尊厳を認める三浦氏の観方をとりたい。

だって、誰もが自分の心の赴くままに、好きなように生きられるという社会が、私が望む方向性だからです。

好きに生きた結果、杉田議員の言う「生産性」がないなら、それはそれで良いし、社会もまたそれをそのままで良しと認めるのが、「良い」社会だと思うのです。

 

……年末ということで、ちょっとしんみりしてしまった。

なにはともあれ、私の文章力では三浦氏のエッセイの良さが全く伝わらないのではと危ぶまれますので、気になるという方は是非、オリジナルを読んでみてください(今年の11月に文庫版も出たので、ちょっと安くなりました)。

 

今日はこんなところで。