文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

大学はもっと実践的な内容を教えるべきか

こんにちは、既に10年近く大学に在籍しているはたえるどです。

 

先日、とある大学生の方のブログを読んでいて「大学を辞めたyoutuberに共感する」という内容の記述を見つけました。

 

そのyoutuberの方は「大学は実践的な内容を教えてくれない」という不満があったとのことで、思い切って大学を辞めたそう。

ブログを書いた方も、「大学の授業は実践的でない」と共感しつつ、さらに「お金(学費)を払っている自分はいわば客。客の求める内容を授業としてい欲しい」というようなことを書いておられました。

 

まあ、そう思うのもむべなるかな。

 

大学は結局、だんだん就職予備校になって、使える知識・技術だけを教える場になっていくのでしょうかね……。

そういう圧力があるのは免れ得ないでしょうし。

 

確かに現代では、大学に行ったからといって "知識人" として扱われるわけでもないし、ノブレスオブリージュもないし、日本という国を背負うという時代でもなくなりました。

 

大学卒業後も、求められるのは実践的なハウツー。

 

となると、学生の側も「高尚な学問的議論なんてどうでもいいので、使える知識お願いしますっ」という気持ちになるってもんでしょう。

 

でも私のような古い世代の人は、大学ってそういう場所?という気もするわけです。

だって(例えば)プログラミングの "技術" だけ身につけたかったら大学行かなくてもいいじゃないか。そのためだけに行くなら、そりゃあ当然大学には高額な授業料を払う価値はないでしょうよ。

 

もっと「研究」ということの端っこに触れられるような経験ができるのが大学という場じゃないかと思うのですが……。

まあ、これは自分が研究職につきそうだからこそ思うことかな。

 

 

大学は今後、こういう

学生側の「実践的な知識を」という希望と

大学側の「アカデミズムを経験して、その思考法を身に着けてほしい」という希望を

うまく擦り合わせていく必要がありそうですね。

 

 

そこで思い出したのは、ハーバード大学で日本の歴史を教えていた歴史学者、北川智子さんの授業。

 

彼女は著作『ハーバード白熱日本史教室(新潮新書)』の中で、「アメリカ人が日本の歴史の知識を今後の人生で使うとは考えにくい」と指摘し、それでも学生にとって価値のある授業を模索しています。

学生にラジオ番組を作らせたり、敢えてグループワークを課したり。

 

結果的に彼女は、「ティーチングアワード」を受賞するぐらい生徒に愛される教師になりました。

 

なので現実的には、彼女のように「知識面では実践的ではなくても、授業で使う思考法や技術が今後の人生に役立つ」というラインを目指すのが良いのでしょう。

 

 

どうも、まとまりのないことを書いてしまいました……最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

 

大学人になるかもしれないので、大学という組織の行く末はやはり気になりますね。

 

 

今日はこんなところで。