文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

作家&工学博士、森博嗣氏の大学観

こんにちは、大学に所属し続けて約10年のはたえるどです。

 

先日、これからの大学の役割について一人で押し問答していましたが

 

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そういえば、森博嗣大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル (中公新書ラクレ)』の内容と結構リンクするなと気づいたので、今日は同書の中で特に心に響いた箇所をご紹介&考察したいと思います。

 

ちなみに『大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル (中公新書ラクレ)』は2005年の本なので、若干時代を感じる箇所はありますが、基本的には「森節」炸裂の良書です。

 

今回特に心に残ったのは三か所:

① 大学はスクールではない

② 研究・教育は採算度外視

③ 大学で実践的なカリキュラムは必要ない

という点でした。

 

① 大学はスクールではない

森氏は「大学は大学校とはいわない」と指摘し、「これはつまり、大学がスクールではないからだ」と述べています。

 

すなわち、「教えてもらう」あるいは「教育を受ける」場ではない、という意味である。学ぶための知識と方法は、すべて(ほとんど)高校までの教育で身につけられる。もう自力で学ぶ方法を知っている。それが大学生なのだ。大学の教育とは、講義室で行われる授業にあるのではなくて(あれは単なるガイダンスだと思って良いだろう)、学びたい学生が、自分からすすんで教官の部屋へ訪ねてくる。そこで議論があり、ともに学ぶことができる。こういった学び手の主体性のうえに成り立っているのが本来の大学のシステムだろう、と森は考えている。

 

つまり学生の側も「知りたいことを教えてくれない」と嘆くのではなくて、先生から知りたいことを引き出すぐらいの主体性が必要ということですね。

 

大学の先生は「オフィスアワー」と言って学生と面談してくれる時間を設けていることが最近は多いと思いますので、それを有効活用するのが現実的でしょうか。

 

今は特にcourseraやオンラインの授業もたくさんあることですし、「四年後どうなっていたいのか」というビジョンを明確にし

「これは大学の授業で先生から学ぼう、この技術はオンラインコースで自習しよう、これはインターンで経験しよう」

と自分で将来を設計すると、大学時代を有意義に過ごせるのではないでしょうか(大学入学当時の自分に教えてあげたい……)。

 

また、大学における面白い講義とは「先生が、そのテーマに真剣に取り組んでいて、それが伝わってくる、そういうものではないでしょうか」と指摘し、「ビジュアルなものを講義に取り入れ、体験させ、わかりやすい説明を」といった手法論は本質ではないとしています。

 

(前略)良い研究者であれば、自然に良い研究者だ、と僕は考えています。学びたい人間にとって、力のある研究者が身近にいることが重要であり、そういった人に接することこそが大学の最終的な、ほとんど唯一の存在理由でしょう。

 

やっぱり情熱をもって授業してくれる先生の授業が一番楽しいですもんね。

 

 

② 研究・教育は採算度外視

当ブログで以前、ノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学本庶佑特別教授の「科学へ投資を、ギャンブルだけど」をご紹介し「研究に投資したからといって実益に結びつくとは全く限らない」ということを書きました。

 

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森氏も「そもそも研究・教育というのは、採算が取れる事業ではないのです。」と述べています。

一方で「社会のために非常に重要なものである」として、大学における教育・研究の価値を認めてもいます。

 

最初に言ったように、そもそも研究・教育というのは、採算が取れる事業ではないのです。ただ、将来の社会のために、非常に重要なものです。お金をかける価値はあるでしょう。

(中略)

稼げなくても、理念を貫き、やるべきことを地道にやってほしい。それで、もし成り立って行かなくなったら、それはもう消えるしかありません。

 

うーむ、大学が消えるところまで想定済みとはさすが森氏。

でも、続きはこうです。

 

でも、きっと、そうはさせないという良識が社会にはあるはずです。ちゃんと救われるだろうと僕は楽観しています。

(中略)

採算が取れなくて立ち行かなくなって潰れてしまった、となれば、それはその地域や国がきっと歴史のどこかで責められることになるでしょう。中国の文化大革命のようにね。町に大学がある、国に大学がある、ということが、その町、その国の豊かさであり、良識だからです。

 

私はこの一節は結構感動しました。

「大学の学びは実践的じゃないから」と言って大学を辞める若者がいる。文系学部廃止などが叫ばれ、人文系博士を目指す私には「役にも立たない知識ばっかり肥えてきて……」と世間の目が冷たい。

でも大学はきっと消えない。

 

また「役に立つ」研究が求められる風潮について、現代は「明日すぐ役に立つ」研究が評価されるが「良い研究は、もっと将来役に立つかもしれない、というもの」であると述べています。

森氏は、現状のままでは研究者が「明日のことしか考えない」視野狭窄に陥る可能性があるとして、基礎学問の重要性を説いています。

 

極端な話ですが、大多数の人が反対するようなことでも、正しいことはあるのです。そんなことをしたら、労力もかかる、お金もかかる、誰も得をしない、ということでも、やらなければならないことがあるのです。それを指摘するのが、学者の使命だと言えます。(中略)だから、すぐに役に立つ研究ばかりに手を出さないで、基礎学問をもっと推し進めてもらいたいと思います。

 

③ 大学で実践的なカリキュラムは必要ない

先日「大学の学びが実践的でない」と不満をもらす若者の声をご紹介しましたが

link

森氏も「よくいわれることは、『もっと実戦で役に立つような教育をしてほしい』という声です」と述べていますが、実践的なカリキュラムの採用には否定的な立場を示してます。

 

でも、大学は、もちろん専門学校ではありません。もっとベーシックでグローバルな教育を行うところですから、あまり実践的なカリキュラムを採り入れる必要はないと僕は思います。むしろその逆で、大学にいるときには、心理学を勉強したり、化学の実験をしたり、就職したらもう一生そんな機会はないと思いますから、是非、広くいろいろな分野に触れてほしいと思います。自分に投資をする、ということです。きっと歳をとってからそれが役に立つでしょう。直接知識が役に立つ、という意味ではありません。発想が違ってくる、ということです。

 

私はまだ大学から出ていないので、この点を実感するということがないのですが……自己投資と思って大学で豊かな学びを経験できれば、有意義な大学生活を送れそうですね(またまた大学入学当時の自分に教えてあげたい……)。

 

 

あと、森氏が全体を通して指摘していることですが「子供が減っているのだから、大学が減るのは当然。うまく縮小する方向で考えねばならない」というのは至極論理的だと思いました。

大学が減れば、私にとっては働き口が減ることになるので痛いですが、でも無駄にお金をかけて維持する必要はないというのは私も同じ思いです。

 

 

一般的な大学論なんて全く知らない私ですが、長く在籍しているので、大学にはやはり愛着もあるし行く末も気になりますね。

 

今日はこんなところで。

 

 

 

※ 参考文献 ※

今回取り上げたのはこの本でした。

 

 

森氏の自伝的な小説『喜嶋先生の静かな世界』も、院生生活の雰囲気や研究の面白さを知るのにおすすめ。

 

 

森氏の大学教官と作家兼業時代のブログを読むと、大学教官の生活をうかがい知ることができると思います(ちょっと古いけど……)。