文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

大人になってから閉所恐怖症気味な話

こんにちは、はたえるど@集合体恐怖症&閉所恐怖症気味です。

 

以前の記事で「加齢によって生きやすくなってきた!わーい」と書きましたが

 

phdnonichijo.hateblo.jp

 

子供の時は出来たのに今はできないとはっきり自覚していることもあります。

 

それは、体の動かせない狭い場所、自由に行き来できない閉じた空間にいることがダメになったことです。

俗にいう閉所恐怖症。

 

これはもやーんと「そうかもな」とは思っていたのですが、まああまり考えないようにしていました。

日常生活で困難を覚えることはないし、考えて言葉にしてしまったらその存在を認めてしまうと考えていたからだと思います。

 

しかし、一年ぐらい前に「これは本格的にやばい」と思う出来事がありました。

 

それが、人身事故で電車に閉じ込められた経験です。

 

乗っていた電車が緊急停止し、「おやおやん」と思っていたところ

自分の乗っていた電車が踏切内で何か(後のニュースで自転車に乗った人のようだと判明)に接触したために、しばらく動けないというアナウンスが入りました。

 

このとき電車は半分踏切内、半分踏切外みたいなところにいたと思います。

つまり、ドアは完全に閉まっていて「しばらく開きませんからね」と言われたも同然。

 

そこで、私は嫌な汗をかき始めました。

 

何だか空気が悪いような気がする。酸素が足りない気がする。

この状態はいつまで続くんだ?

窓を開けたいけど、ここには窓がない。

出口が確保できない。

 

自分の中で怪物が暴れまわっているみたいな思考の荒れ具合です。

怪物は「ドアを開けろ!」と叫んでいるようでしたが、一歩間違えたら、私が本当にそう叫んで暴れ出してしまいそうなぐらい追い詰められた気分でした。

 

頭の中には、ドアに駆け寄って無理やり開けようとして「ここから出せ!」と叫んでいる自分の姿が映し出されます。

 

やば……

 

しかし、冷静な自分もまだ残っていて

「これまで普通に新幹線とか長距離列車とかに乗っていたのだから、ドアが開かないということが怖いのではない。『いつドアが開くか分からない』という一点が自分を苦しめているのだ」

などと分析していました。

 

「とにかく、日本の電車は信頼できる(はず)。30分もしたら、少なくとも隣の駅までは移動してくれるだろうし、そしたら必ずドアは開く。それまではドアのことは忘れて、通常運行している電車に乗っている気分で自分を騙すしかない」

と思った私は、ポッドキャストを聞いて外界の情報をできるだけシャットアウトすることにし、「電車が動いてる~ほら体がちょっと揺れてる~」と自分を騙して、粛々とその時を待ちました。

 

そして、電車はまた動き始めた。

普通に家に帰りました。

 

 

 

というような経験がありまして、これを通して、やっぱり自分は閉所恐怖症っぽいから少し気を付けようと思ったのでした。

別に日常生活ではやっぱり何の困難もないのですが。

 

 

それにしても、当時の私は、外側から見れば寡黙に音楽聞いてるだけだったかもしれないですが、内心はパニック気味で、なんというか怪物に頭をめちゃくちゃに踏み荒らされた気分というか……私は頭にゴジラを飼っていたようですね。

 

外から見た時に普通でも、中では不本意ながらゴジラを飼っている人がいるかもしれないから、外見に惑わされずに譲り合い・助け合いの精神を持ちたいと思った出来事でもありました。

 

 

ちなみに集合体恐怖症は昔からです。

一回 wikipedia の「集合体恐怖症」のページを見てしまって地獄を見ました。

 

草間彌生さんの作品とかも恐怖ですね。水玉とかはまだ大丈夫ですが、全体的に私には刺激が強すぎます……。

 

 

私的な告白にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

今日はこんなところで。