文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

「それぐらい察してよ」はもうやめようじゃないか

冬休み中に一度、風邪でダウンしておりました。

 

ありがたいことに友人Aが看病に来てくれ、「何か必要なものはないか、何かして欲しいとことはないか」と数時間面倒を見てくれました。

のど飴も買ってきてくれたし、スープも温めてくれたしありがたい……。

 

ところがですね。Aは洗い物を全くせずに帰ったのですよ。

なので残された私はカップと鍋とスプーンの山を見て「え、私がこの洗い物するわけ?」と虫の息ながら若干イラッ。

「病人なんだから出来ないことぐらい分かるでしょう~」と思ったわけです。

 

看病にわざわざ来てくれたという恩義を都合良く忘れた私は後日、「洗い物してくれなかったね」とAに皮肉を言ってしまいました。

 

Aは「だって『やって』って言わなかったじゃん」

 

「何回も『何かして欲しいことはある?』って言ったけど、洗い物をして欲しいとは一度も言わなかった」

と言いました。

 

 

ぐうの音もでないとはこういうことか……。

 

そう、ここは「言わなきゃ伝わらない」国。黙ってても察してくれるなんて都合の良いことは起きないのです。

 

つまり私は「洗い物が出たら洗ってくれるものだ。私は病人だから洗い物ぐらいやってくれるものだ」という私の勝手な思い込みをAに押し付けていただけ。

そして、自分の思い通りにAが動かなかったと一人で勝手にイライラしていた。

 

Aにしてみれば「教えてくれたらやったのに、何で言わなかったの?」てなもんです。

 

そもそも文化的なバックグラウンドが全く違う人には、私は何を期待してたのでしょう?

 

私の "常識" (という名の勝手な思い込み)を察してもらうこと?

 

……言葉にするとなおさらバカらしいですね。

そんな曖昧なもの、察してくれというほうが無理です。

 

この国では「それぐらい察してよ」はまるで伝わらない。

でも、そういう気持ちの読みあいが苦手で「ここでは全部はっきり言ってくれる」と喜んでいたのも自分だったじゃないですか。

 

今回は異文化間だから「私が『察して!』を強要した」と問題がはっきりしてるけど、この「それぐらい言わなくても分かるでしょう?」の押し付けは、日本人相手でもやめたいなと私は思っています。

 

だって「まあ、こんなことも分からないなんてなってないわね。常識を疑うわ」なんて言い始めたら、ワイドショーに出てくる意地悪な姑になってしまいますよ。

私はそういう人にはなりたくありません。

 

私の常識があなたの常識とは限らない。

日本にいたって、すすめられたお菓子を食べていい文化もあれば、いくらすすめられても食べないのが正しいという文化もある。

日本は全く一枚岩ではありません。

 

「これして」「あれはしないで」とはっきり言葉にするだけで、スムーズにコミュニケーションがとれるのなら、そうしようではありませんか。

 

まあ、図々しい人と思われるかもしれないけどさ。

 

しかし私は「察してくれなかった!」って人に怒るようなことはしたくない。

「こんなことも察してくれないあなたは常識に欠ける」みたいな考え方はしたくないなと改めて思いました。

 

 

今日はこんなところで。