文系PhDの日常

実学から遠い文系;博士号ほしい;海外留学中

現地のテレビ番組を見て教育と宗教と移民問題について考える

こんにちは、はたえるどです。

最近、現地の30分ドラマを見たんですが、移民・宗教に関する内容でなかなか深い内容でした。

 

番組自体はとある公立小学校の先生と保護者のドタバタコメディーで、シリアスな雰囲気は何もないドラマ(フィクション)です。

設定としては、白人が多い学校で、先生たちもみんな白人(割と保守的)。そこにゲイの家族+アジア系の養子がいたり、ムスリムの転校生が来たりして、そんな中でも先生たちが「ポリコレ」であろうと(時に見当違いの方向で)奮闘する様子を面白おかしく描いた感じ。

 

この前、ちょうど見たときの内容は「クリスマスを学校で祝う」という内容でした(この時期にやるとは思えないから再放送かな)。

 

先生たちは「クリスマスツリーを飾ろう!持ち寄りでクリスマスパーティーをしよう!そしてパーティーの時にはキリスト生誕の劇をやろう」と企画します(「公立の学校でそんな宗教色の強いことをするのは良くないのでは」と反対する先生もいるが、「まあこれも文化の一部だよ」ということで、とりあえず乗り気の先生たちが企画し始める。)

 

まあ楽しそうね、という感じなんですが、ぶっちゃけると、先生たちが思い描いていたようなパーティーには全然ならないわけです。

 

ある先生は「持ち寄りパーティーを」とPTAのお母さんにオーガナイズをお願いするわけですが、「うちの子は○○アレルギーがあるから、これは出さないで欲しい」「うちはビーガン(絶対菜食主義者)だから、食べ物は野菜とかナッツとかにして欲しい」「ムスリムがいるから豚肉はダメ」と言う親たちの希望を考慮すると、野菜と果物ぐらしか出せるものがない。というわけで担当のお母さんは「各自お弁当を持ってくること!」と言って匙を投げてしまいます。

 

校長先生は、クリスマスを祝うにあたってムスリムの親と面談し「キリスト教の宗教的な行事であると同時に文化の一部だから」と説明して了承を得るわけですが、ムスリムの親は「まあ、楽しいそうだし良いことですね」と賛同を示しながらも「じゃあラマダンの時も何かしてくださいますよね?」と釘をさします。

 

先生たちはクリスマスツリーを廊下に飾り、キリスト降誕劇の練習に励むのですが、結局はお偉いさんが出てきて「公立の学校でこんな宗教色の強いことをして良いわけがないでしょう!劇は中止、ツリーも片付けなさい!」と怒られてしまいます。

 

で、劇はそのまま中止になるのですが、飾りつけの済んでいたツリーのほうはなんと、別の飾りつけのまま廊下に残っているという映像が後からちらっと出てくるのです。その飾りつけが、にこにこマーク的な絵文字やう〇こ絵文字で、通常星が飾られるツリーのてっぺん部分には「イイネ」マークが飾ってあるというシュールなものでした。

 

結局、パーティーには各自お弁当を持ってき、パーティー音楽ががんがんかかった陽気な雰囲気の中にサンタさんが登場するという、「持ち寄りで、キリストの生誕劇があって、聖歌を歌って……」と先生たちが思っていたのとは全く違うパーティーになってしまいます。

 

 

この話はもちろん、異文化理解やマイノリティ理解にちょっと疎い保守的な先生たちを登場人物にすることで、彼らが見当違いのポリコレに邁進するのを「もう馬鹿だなあ」と笑うという主旨かと思うのですが、今回の放送はポリコレに伴う現地の人の思いや屈託を非常によく表しているなと思って興味深く見ていました。

 

もちろんドラマの先生方、そして視聴者の(少なくとも)多くは恐らく、「宗教、肌の色、セクシュアリティなど、いかなる理由であれ差別はいけないことだ」「色々な信念・バックグラウンドの人がいるのだから、自文化を押し付けるのではなく、それぞれを尊重しあって生きていかねばならない」という認識は共有しているように見えます。一方でそれを現実に実行することに対してどう感じるか千差万別です。

 

クリスマスを自分の文化の重要な一部と位置づけ、それを自分が経験したような伝統的な形そのままで子供に経験させようとする白人の先生。

同じく白人の先生だけど「クリスマス?別にそんな盛大に祝わなくても」とそもそも乗り気でない人。

ムスリムの親御さんに「じゃあラマダンも祝ってくださいますね」と言われて、思わず口ごもってしまい「うわ、まじかー」と思っていることが透け透けの校長先生。

お偉いさんに「生誕劇みたいな宗教色の強いことを公立校でやっていいわけないでしょう!」と怒られて「でも天使は私たちの文化の一部だし、かわいいじゃない!」と反論するPTAのお母さん。

 

誰もが「キリスト教的なクリスマスの押し付け」はいけないという意識は共有しているのに、誰もが別々の「これぐらいなら許される。これは許容範囲」という基準を持っているため、ちぐはぐで全く噛み合わない。

 

そして結果として生まれた、facebookツリーとクラブ系音楽のがんがんかかったクリスマスを見て、意気消沈する先生を見ていると、誰もにとって大丈夫なラインを目指すと結局、ともすれば味気のない何だか商業的なイベントに成り下がってしまうという事実を、仕方ないことながらも残念に思う人がいるのだなと気づかされます。

 

一方で、大人たちの思惑をよそに、子供たちは何だかんだパーティーを楽しんでいて、大盛り上がりしている。

 

 

うーん、難しい……!

宗教行事の一種だから公立校ではダメということは大前提としても、キリスト教色を排した単なる「サンタが来るイベント」みたいな形にすると、誰も傷つかないけど「なんだかなア」と思う人がいるだろうというのも理解できる。

 

でも子どもたちがディスコとサンタで盛り上がっているのを見ると、子供の時からこういう形で祝っていたら「こういうものだ」と思って大人になって、「伝統的なクリスマス?あんな宗教色の強い行事は、信仰心の篤い人が教会で祝うものでしょう?うちはファミリーディナーしてプレゼント交換するだけですよ」みたいな感覚になっていくのでしょうか。

 

 

日本にいたときは移民問題について全く考えなかったですが、実際に移民との共生を模索している国にいると色々考えることがありますね……。

 

長文最後まで読んで頂いてありがとうございました。

今日はこんなところで。